最近、SM クラブに行く夢をよく見る。受け付けで、どの様なプレイを希望しているのか質問され、それに答えている場面ばかりである。受け付けでこれでもかと質問攻めを受け、結局のところ、こちら側の SM に対する認識不足を論破されて、すごすごと退散するところで目が覚める。こんどこそは、と理論武装して夢に挑むのであるが、夢に出てくる受け付けの女性、こちらの武装の綻びを見逃してはくれない。そして、私は未だ、プレイの夢を見られないでいる。
「SM って何ですか?」
「何ではありません」
受け付けで問答を繰り返していると、常連客と思われるご婦人が入って来る。受け付けが、ご婦人に向かって「承っております。どうぞ、お部屋の方へ」と促す。香水の匂いがぷんと匂う。しかしバナナの香りの香水とは、と目を覚ますと目の前にバナナの皮が。
バナナの香水を匂わせる常連客と思われるご婦人が手短にプレイを済ませて?出て来て受け付けと二言三言、言葉を交わしてからこちらに微笑みかけて「よろしければ」と、非常にありがたい申し出をしてくれてから、徐々に進展しているのだが、未だにクラブの実体の方は不明。
短時間だと眠りが深いのかと思っていたが夢を見れたと言う事は、浅い眠りであったのだろうか。ともかくもご婦人の誘いで出かける所まで夢は進展している。
短い間ではあったが、夢の続きを見る。ご婦人に外に誘いだされたのは、結局のところ食事の誘いであった。「何処がいいかしら。何を食べに行きましょう。あなた、何か食べたいものあって?」と問いながら、足先から頭髪まで視線を走らされました。
「何処がいいかしら。何を食べに行きましょう。あなた、何か食べたいものあって?」と、食事に誘われて、しかし、値踏みされるように足先から頭髪まで視線を走らされたのは何故だろうと思うが、「でも、あなた、その恰好じゃ」と口に手袋をはめた手を当てて、さも、その恰好が珍妙だと言わんばかりに笑われて、その視線の意味が判る。なに、 短パンに T シャーツがそんなに珍妙なのかとは思う。が、ご婦人の笑いかたに厭味などを感じない。
「ともかく、これに着替えてらっしゃい、靴は後でいいから」と、手触りのいい背広とやや光沢がある軽やかなシャツ、そして昔風の幅の広いネクタイを渡される。どこで着替えたものかと視線を泳がすと、店員が恭しく、奥の部屋へ手招きしている。どうやら、ここは洋服店のようである。しかし、厚手の絨毯を敷いた部屋には、カンターと応接セットがあるだけで、洋服や生地をディスプレイしている様子はない。いや、それよりも、倶楽部の前から、この洋服店まで、どの様にして移動したかさえ定かではないではないか。
店員に先導されて奥の部屋に入る。背後にドアを閉める様子が無いので振り返ると、先程の店員とは別の店員が、タオルを入れたバスケットを持って入ってきた。それを、部屋の椅子の上に置き、部屋の右手にある扉を開けてから退出していく。退出と同時にドアが閉じられる。店員が開けて行った扉を覗くと、そこは広い洗面所、いやドレッサールームと呼ぶのか、そしてその奥にはシャワールームがある。引き返してバスケットの中をみる。一番上のタオルをとると、下にはバスローブがある。バスローブをバスケットから持ち上げると、なかから何かが落ちてきた。下着と靴下であった。
通りすがりの婦人あるいは紳士に拾われて、結構なベベを着せられて、なにかに仕立て上げられてしまう、陳腐なまでの在り来りなシチュエーションである。そう思った。そう思いはしたが、いざそのシチュエーションの当事者になると、意外と不安と期待の胸騒ぎを感じるものである、と、頭の片隅から独白の吹き出しが膨張してきたところで目が覚めた。
シャワールームに入ったのはいいが、レストランの調味料入れの様な凝ったガラス容器に入っているそれが何なのか判らないものが金属製のトレーに纏めて置かれている。色付きの液体の入った容器や粉末の入った容器が並んでいる。さすがに石鹸は判別できた。金属製の重厚なドライヤーも置いてある。私自身は、普段は洗いっぱなしでドライヤー等は使わない。従って自宅にはドライヤーを置いていない。石鹸を容器から取り出してシャワーの下へ、この際、頭髪も洗った方がいいのか、と考えながら頭からシャワーを浴びつつ石鹸を擦りつける。
濡れたままローブを羽織って、と言うのはやはり贅沢な感じがする。ドライヤーのスイッチを入れて適当に髪の毛をかき回しながら乾燥させる。こうすると、なにか、櫛で髪形を調えると言う作業もやってみたい様な気分になる、こんな時に整髪料とか使うのだろうなぁとも思う。しかし、どうやって櫛で調えていいのか判らない。それよりも、人を待たせてシャワーを浴びると言うのは結構焦るものである。髪の毛がドライヤーの熱で温まってくると、石鹸の匂いがきつくなる。いや、石鹸そのものの匂いではない。化粧品の類の匂いである。
シャワールームから出てきて用意された下着に足を通す。糊が効いている。シャツに腕を通し、ズボンを履き、背広を着る。肩の辺りがぴたりと吸いつくようにフィットする、そして腕を上げても邪魔な感覚はない。背広もなかなかいいもんだ、と思いながら、バスケットの中に、先程まで着ていた衣服を押し込んでおき、濡れたローブをシャワールームの隅に放り込んでおいた。
靴下をポケットに押し込んで、裸足を軽登山靴に突っ込んで部屋を出る。応接セットでご婦人と、店内に入った時には見かけなかった年配の男性が向き合って座っている。そこへ歩を進めると、婦人がこちらに顔を向けて微笑みかけてきた。そして「あなた、お顔…」と言う。その言葉に立ち止まってしまう。婦人はその後に言葉を続けないまま「あらあら、どうしたことでしょう」と言う表情のまま笑みを浮かべている。
「お客様」と、不意に背後から話しかけられる。振り返ると、部屋に案内してくれた店員が、トレーの上に財布や鍵やマッチや分度器やゴム紐など、脱ぎ捨てた短パンのポケットに押し込んでいたものを、丁寧に並べて掲げ持っている。「すいません」と言ってそれらを慌てて背広のポケットに押し込む。トレーが空くと、その店員は、もう一人の店員、どこから現れたのか判らないが、先程から居たのかかも判らないが、部屋にバスケットを持って入ってきたところの店員に、トレーを渡し、空いた手をおもむろに私の顔にのばして来た。両手で私の顔を包み込むようにしながら、親指で目の下あたりから下に向かってなでつけながら、悪戯っぽい眼差しで「お顔…」と言う。
さて、数日前の夢の件についてだが「なぜ顔を?」なる疑問をかかえたまま目が覚めて、すっきりしないまま過ごして来たが、昨日、隣に座っている人物【誰】を見ている間に、この疑問が解けたのである。要するに、身繕いをしろとの意味でシャワルーム付きの部屋に通したのに、あらあらどうしてお顔を剃ってらっしゃらないの? と言う意味であったようだ。
「あなた、ここに来たら先ず、これを試してみなくっちゃ」とご婦人に言われて出されたものだが、スライスしたトマトの上にチーズをのせてオーブンで焼いたものらしい。食してみると、なるほど、トマトのほのかな甘味に少しピリッとした苦みのあるチーズが絶妙に感じられる。「ねっ」と目配せをするご婦人。あっと言う間に 3 切れのトマトが咽を通ってしまう。空いた皿を取りに来たウェイターだが、何故か足元に置いてあった軽登山靴を銀の大皿にのせて恭しく掲げながら部屋を出ていく。そう言えば裸足である。大理石の床が冷たいと思った。
部屋の中は甘い香りが漂っている。チョコレート製の燭台にさされたチョコレートの蝋燭に火が灯されているからである。
3 人のウェイターが格闘しているのは、いきなりご婦人が注文したメインディッシュ級の料理。ローストしたうずらから肉を剥がして圧搾機にこれをかけ、髄につまった赤黒いスープをぎりぎりと絞り出し、銅鍋に受け、半分に切ったオレンジにフォークを突き刺して器用に果汁を先程に鍋に垂らして煮詰める。スライスしたうずらの肉を皿に敷き、煮詰めたソースをかけている。
婦人は椅子から身を乗りださんばかりにウェイターの格闘を見ていたが、そのうち、待ちきれないと言った面持ちで椅子を蹴って立ち上がり、サービステーブルの駆け寄ると、出来上がったばかりのソースに指を突っ込み、その指をペロリと舐めた。
その無邪気なしぐさに目を奪われていると、年配の男性が (私と婦人は向かい合わせに、そして、洋服店に居たその男性は私の左手に座している) 「背広は如何か」と、押し殺した感情の大きさが理解できる声色で聞いて来た。「え?」と男性の方に目を遣ると、男性は膝にきちんと両手を揃え、真っ直ぐと正面を見据えたまま、そう、こちらを見ることなしに質問をしているのである。着心地のことだろうか、着心地なら申し分ない。デザインのことだろうか、デザインも申し分ないと思う。が、ズボンは股上が浅いので心もとないのであるが…。
男性の感情が何処に向けられているのか測りかねていると、婦人がウェイターの 1 人を従えて男性の所にやってきた。「ちょと舐めてご覧なさいよ」と、ウェイターの指を鍋に入れさせ、そしてそれを男性の口先に突き出させる。
件の夢の続きの様なものを見た。起きた時に、大部分が消し飛んでしまって断片的な印象のみが残っている。舌を出して舐めたときのざらついた感触や指先に残る生暖かな濡れや腐った肉汁の様な匂いなど。
婦人はウェイターの手首を掴むと鍋のなかの突っ込み、その指にソースをからめとると男性の鼻先に突き出して言った。「ちょっと舐めてご覧んなさいよ。」しかし、男性は押し黙ったまま、まだ、先程の問いに答えられていないことが不満なような、口許を真一文字に結んだまま、真っ直ぐの空を見つめている。「ほら」と婦人がウェイターの手首をぐっと突き出して男性の口にこじいれようとした。が、さすがに男性は首を横にそらして拒絶した。そのしぐさに婦人は困った顔をして、そして、男性の白髪が丁寧に分けられている頭の頂点のあたりを眺め、そして頬を膨らませた。ウェイターの手首はその時に離してしまったので、男の首はまた、ゆっくりと正面の方にもどされたが、決して婦人と目を合わそうとしない。婦人は両腕を腰のあたりにあて、ゆっくりと半歩さがって、男性が腰掛けている椅子を蹴った。椅子を蹴られた男性は無反応である。
すると、ふと、男性の頭から視線を上げた婦人は、こちらに、新しい玩具を見つけた少女が目を見開く、そのような表情をみせ、かけてくる。そして、私の後ろに立って椅子を引きながら「ほら、ちょっと」といって立たせると、牛を追い立てるようにして私を男性のところに連れていく。男性の左に私を立たせて、そして、右側に控えていたウェイターを男性の背後をまわらせて私の側に押しやってくる。ああ、はるほど、そう言うことか、たぶんそうに違いないだろう、そう思って私はウェイターの持っていた鍋を引き寄せると、指を一本立てて鍋のソースに這わせ、その指を男性の前にそっと差し出した。婦人は左の方からしゃがみ込み、男性の顔を覗き込んでいる。男性はその婦人と顔を会わせないようにして、そしてゆっくりと、初めて私の方に視線を向けて来た。私は、男性の視線を受けた。が、その視線は先程の背広に関する視線ではなく、多少いぶかるようなものであった。私は、男性の視線を促すようにして、ゆっくりと男性の目から、私の、差し出したところの指に視線を移した。
男性は、顔を前に突き出して、舌を突き出してソースを舐めとった。鍋の底を這わせたときには、どろりと指に絡みついたそのソースも、そして、熱かったそのソースも、男性と視線を交わす間の、ほんの少しの間に冷めてしまい、指先にひややかな感覚を残すともに、分離してしまったのか、指先から手のひらを雫となって手首から肘の方へ、流れようとしている。男性は先ず、手首の辺りに舌をあて、手のひらの方に舌を這わせた後に、今まで、きちりと揃えていた両の腕を膝から離して、私の差し出した方の腕、カフスボタンを外し、たくし上げ、まさに流れる雫の先端に舌をあてた。
フロントで来訪を告げると、受話器を渡される。耳をあてると「部屋に椅子が置いてあるので座り心地を試してほしい。但し、きっかり 1 時間座り続けて頂きたい。時間がくればこちらから連絡するので」と、そのような主旨のことを告げられる。予感したとおり、声の主はあの男性だった。最初、椅子の座り心地が何の意味か判らなかった。比喩でもなんでもなく、椅子に座ればいいことを、なんとか理解できるまで、何度か質問したように思う。そのやりとりをしている間、フロントの人間は、デスクの上に目を落として、なにか事務的な処理をやっているふうな振りをしていた。
受話器をフロントの人間に渡して部屋の所在を聞く。辿り着いたフロアの回廊を順番に部屋番号を確かめながら歩いていく。ドアにモカ色のハイヒールが引っ掛かっている、その半開きのドアの部屋、その部屋番号がそれだった。一応ノックしたが返事はない。 2 度目のノックをと思ったが、だいたい椅子の座り心地と言う頼み自体が馬鹿げた話であるので、そのままドアをひいて中に入った。これが食事のお礼になるならばそれでよし。
部屋の中に入る。部屋の家具, 調度品の類が全く取り去られた部屋の真ん中に男が四つ這いになっているだけ。そう言うことだったのか。ドアに引き返して挟んであるハイヒールを取り去ってからドアを閉めておく。部屋の中央に進み出て四つ這いの男の背中に腰掛ける。但し、この男はあの男性とは違う。だれか判らない。チックで固めた後頭部しか見えない。
腰を下ろす瞬間、男がぐらりと揺れる。腰掛けた所が、男の背骨あたり、ごつごつと臀部に背骨を感じる。何も内部屋でこのまま 1 時間も座りつづけるのも苦痛である。一度立ち上がって、外の風景が見える様に窓のカーテンを開いておく。けれども男に座ると窓から見えるのは薄雲のかかり始めた空ばかりである。この椅子を窓際に持って行っていいのかどうか、しばらく悩んだ。
結局のところ、そこに頭を垂れている男と言う椅子が、椅子になっているとして、そんな男を窓際まで引きずって行くこともできないし、かと言って一度立ち上がってもらい、窓際まで歩いてもらい、再び四つ這いになってもらうのも気が引ける。婦人が望んでいたのか、それとも男性が望んでいて、それを婦人が後押しして頼んできているのか、ともかくも、椅子に座わることを望まれているだけである。余計な詮索はしまい。
が、座り心地の良いものではない。男の背骨が臀部にごつごつと当たる。背骨を避ける様に座り直すと、その度に椅子はぐらつく。椅子が膝を踏ん張り直したり、片手ずつ手をつっぱり直したり、重みに沈んだ背筋を伸ばしてみたり、その度にぐらぐらと椅子は揺れる。どうも背中に横向きに腰掛けるのは心地が良くないので、今度は尻の上に、互いに後ろ向きに成る様に腰掛けてみる。これだと椅子の膝の上に真っ直ぐにすわることができるので、ぐらぐらはしない。が、尾てい骨同士がぶつかって、これもごつごつしてしまう。尾てい骨を避けて臀部同士が当たるようにするには、座ると言うよりは、寄り掛かって足をつっぱると言う感じになる。
いっそ、馬乗りがよいのかもと、男を跨いで腰のあたりに臀部を下ろしてみる。なるほど、これなら安定するようだ。男の皮ベルトがぐりぐりするのは、我慢ができる。
見ず知らずの男の背中 (今は腰だが) に座ること自体が疲れさせるのか、あるいは、このような妙な状況に疲れさせられるのか、最初はそう思った。が、そうではないことに、しばらく座っていて気がついた。馬乗りの状態では、足を楽なふうに崩せないし足を組むこともできない。そしてなによりも背もたれが無い椅子に長時間座っていることが疲れを誘っているようなのである。男の背中の上に覆いかぶさるようにうつ伏せになれば楽なのかもしれないが。
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© 2000 佐々木仁志